テレビアニメって楽しいよね

1963年から始まったアニメを紹介いたします。 概要・あらすじ・主題歌・登場人物・声優 wikipediaからなのでネタバレの危険がありあます!

少年忍者風のフジ丸


1964年6月7日から1965年8月31日にわたってNETテレビ(日本教育テレビ。現:テレビ朝日)系列で全65話が放送されていた東映動画(現:東映アニメーション)製作のテレビアニメとなる。


放送時刻は、1964年6月から12月迄は日曜日18時30分 - 19時。


1965年1月から最終回迄は火曜日19時30分 - 20時。


モノクロ作品だが、初期数話はカラーで試作されていた。


また作品中にハーモニーカットの実験も行われ、注目を集めた。


白土三平の貸本短編集『忍者旋風』(1959年)や、週刊少年マガジンに連載されていた『風の石丸』(1960年)などを原作としたテレビアニメである。


番組スポンサーの藤沢薬品工業(現:アステラス製薬/第一三共ヘルスケア)とのタイアップのため、主人公の名前(番組タイトル)が「フジ丸」と改められた。


主題歌の最後にはスポンサークレジットとともに「♪フジサ~ワ~、フジサ~ワ~、藤沢や~く~ひ~ん」とスポンサー名を連呼する女性コーラスが入っていた。


初期の数本がカラー作品で制作された後、白黒作品となった。


また、原作を離れ、オリジナルストーリーとなった第29話から原作者としての白土の表記もなくなった。


第28話まで、番組のラストには本間千代子を聞き手に初見良昭(戸隠流34代目)が忍術を詳しく解説する実写のミニコーナー『忍術千一夜』があった。


久松文雄による漫画版が雑誌『ぼくら』に連載されていた。


『まんが大行進』にてTVブローアップ版3本が上映されている。


少年忍者風のフジ丸・謎のアラビヤ人形(1964年7月21日公開) 併映は、『狼少年ケン』『エイトマン』『鉄人28号』の3本。


なお当番組は1週間で上映を終了し、代わって7月28日からは『忍者部隊月光』(劇場用新作)を上映。


少年忍者風のフジ丸・まぼろし魔術団(1965年3月20日公開) 併映は、『ガリバーの宇宙旅行』『狼少年ケン』の2本。


少年忍者風のフジ丸・大猿退治(1965年7月24日公開) 併映は、『狼少年ケン』『宇宙パトロールホッパ』『スーパージェッター』『宇宙少年ソラン』の4本。


1980年代初頭に東映芸能ビデオから、ミリオンセラー・シリーズとしてカラー版第1話を収録したVHS発売された。


2005年、ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社かより本作の第1話(モノクロ版)、第3話、第4話、第27話および「狼少年ケン」、「ハッスルパンチ」を収録したDVD-BOX「東映アニメモノクロ傑作選 Vol.1」が発売された。


2006年には単巻でも発売された。


2013年、株式会社ベストフィールドから全話を収録したDVD-BOX全2巻が発売された。


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0戦はやと


週刊少年キングで連載されていた辻なおきの漫画作品。


漫画版は「週刊少年キング」創刊号から昭和39年(1964年)第52号まで掲載された。


昭和17年(1942年)、大日本帝国海軍は各戦線から腕利きの撃墜王35人を集め、宮本大尉の下に爆風隊を結成、ニューギニア戦線で64機撃墜の実績を誇る東隼人もその一員に選考された。


モロタイ基地に派遣された爆風隊は、隼人が考え出した多くの奇策もあり何度も大きな戦果を上げるが、隼人の父である黄桜隊司令官東大佐は、敵のエース・パイロット、スカイキング中尉(後にキングサタン中佐と名前が変わる)に撃墜される。


隼人はキングサタンに一騎打ちを挑むがかなわず、その後特訓を重ね、最後にキングサタンを倒したところで物語が終わる。


隼人のその後については明らかにされていないが、1966年に「週刊少年キング」に連載された『0戦仮面』では、ある日仲間5機と一緒に出撃して結局帰って来なかったため戦死とされている。


『0戦仮面』は『0戦隼人』や、「少年画報」に連載されていた同じ作者の『0戦太郎』の続編的な内容であり、仮面で顔を隠した、その名も仮面少尉を主人公とし、宮本大尉や、隼人の同僚である石川上飛曹も登場するが未完に終わった。


1964年1月21日から10月27日までフジテレビ系で放送された。


全38話。


ピー・プロダクション制作。


明治キンケイカレー(現:株式会社 明治)の一社提供。


ピープロ初のテレビアニメ。 「折込広告社」が代理店となり、番組が企画されたが、本作は戦時下の軍人を主役にしているため、「子供番組で戦争謳歌をやるのか」と、番組売り込みの際に各テレビ局の組合からの批判攻撃が厳しかった。


うしおそうじ(鷺巣富雄)は「特にTBSがきつかった」と述懐している。


結局、保守系のフジテレビでの放送枠が決定。


これを機に以後、うしおそうじとピープロは、フジテレビでの番組制作を続けていくこととなる。


放映開始後も視聴率は低迷し、フジテレビでは2クール(26本)で打ち切りを打診してきた。


ちょうどこの時、TBSからピープロに手塚治虫の『ビッグX』の製作依頼が支度金3000万円(当時)で舞い込んだ。


うしおはこれに飛びついたが、ピープロのアニメスタッフの組合が「30分物二本掛け持ちは無理」と猛反対し、うしおの説得むなしくこの話はお流れとなる。


うしおが泣きついて、なんとか放映は3クールまで延長してもらったという。


1960年代の少年漫画誌では戦記ブームが巻き起こっていて、「大空のちかい」、「紫電改のタカ」、「ゼロ戦レッド」、「あかつき戦闘隊」など太平洋戦争を描いた漫画作品がいくつか存在したが、結局テレビアニメ化されたのは本作のみであった。


1977年夏に東京12チャンネルで放送されたアニメ番組懐古企画「マンガ祭り60分!」では本編1話分が放送されている。


1985年頃、ジャパンホームビデオから第1話「奇襲」を収録したVHSソフトが発売された。


同社からは同時期に「ハリスの旋風」のビデオソフトも発売されていた。


2014年現在DVD化されていない。


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狼少年ケン


1963年11月25日から1965年7月12日にわたってNETテレビ(現:テレビ朝日)系列で全86話が放映されていた東映動画(現:東映アニメーション)製作のテレビアニメである。


モノクロ。


同局初の国産アニメ放映作でもあり、また東映動画が初めて製作したテレビアニメ作品でもある。


アフリカのジャングルの中で狼に育てられた少年・ケンが、双子の子供狼・チッチとポッポや仲間たちと一緒にジャングルの平和を守る。


1963年元旦に放映を開始した虫プロダクションの『鉄腕アトム』により、日本に本格的なテレビアニメの時代が始まった。


3コマ撮りや止め絵・バンクシステムの多用などテレビ向けの省力化を徹底した『アトム』に対して、東映動画関係者の評価は当初低いものであったが、アトムが高い視聴率を獲得するとその存在は無視できなくなった。


東映動画内部でテレビアニメの検討が開始されると、若手の俊英アニメーターであった月岡貞夫は自らテレビアニメの企画を提出した。


これをベースに制作されたのが本作である 森永製菓がスポンサーで、まず「まんがココア」が発売された。


オマケとしてキャラクターシールが挿入された。


後に夏用として「まんがジュース」(粉末ジュース)が発売。


こちらの方にもシールが挿入された。


「まんがココア」はヒット商品となり、これを飲んで初めてココアの味を知った人も多かったという。


シールのキャラクターは圧倒的に狼一族が多く、人間は主人公のケン以外少ない。


その後、ケンキャラメルが発売された(味はバナナ)。


オマケとしてキャラクターの起き上がり小法師がついていた。


EDは2種類あり前期は止め絵、後期はケンや狼一族が走り回る動画だった。


また主題歌も、前期の方がテンポが早かった。


後期の方は後年の主題歌集ビデオ(東映ビデオ)には収録されておらず、意外に知られなかった。


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