0戦はやと
週刊少年キングで連載されていた辻なおきの漫画作品。
漫画版は「週刊少年キング」創刊号から昭和39年(1964年)第52号まで掲載された。
昭和17年(1942年)、大日本帝国海軍は各戦線から腕利きの撃墜王35人を集め、宮本大尉の下に爆風隊を結成、ニューギニア戦線で64機撃墜の実績を誇る東隼人もその一員に選考された。
モロタイ基地に派遣された爆風隊は、隼人が考え出した多くの奇策もあり何度も大きな戦果を上げるが、隼人の父である黄桜隊司令官東大佐は、敵のエース・パイロット、スカイキング中尉(後にキングサタン中佐と名前が変わる)に撃墜される。
隼人はキングサタンに一騎打ちを挑むがかなわず、その後特訓を重ね、最後にキングサタンを倒したところで物語が終わる。
隼人のその後については明らかにされていないが、1966年に「週刊少年キング」に連載された『0戦仮面』では、ある日仲間5機と一緒に出撃して結局帰って来なかったため戦死とされている。
『0戦仮面』は『0戦隼人』や、「少年画報」に連載されていた同じ作者の『0戦太郎』の続編的な内容であり、仮面で顔を隠した、その名も仮面少尉を主人公とし、宮本大尉や、隼人の同僚である石川上飛曹も登場するが未完に終わった。
1964年1月21日から10月27日までフジテレビ系で放送された。
全38話。
ピー・プロダクション制作。
明治キンケイカレー(現:株式会社 明治)の一社提供。
ピープロ初のテレビアニメ。 「折込広告社」が代理店となり、番組が企画されたが、本作は戦時下の軍人を主役にしているため、「子供番組で戦争謳歌をやるのか」と、番組売り込みの際に各テレビ局の組合からの批判攻撃が厳しかった。
うしおそうじ(鷺巣富雄)は「特にTBSがきつかった」と述懐している。
結局、保守系のフジテレビでの放送枠が決定。
これを機に以後、うしおそうじとピープロは、フジテレビでの番組制作を続けていくこととなる。
放映開始後も視聴率は低迷し、フジテレビでは2クール(26本)で打ち切りを打診してきた。
ちょうどこの時、TBSからピープロに手塚治虫の『ビッグX』の製作依頼が支度金3000万円(当時)で舞い込んだ。
うしおはこれに飛びついたが、ピープロのアニメスタッフの組合が「30分物二本掛け持ちは無理」と猛反対し、うしおの説得むなしくこの話はお流れとなる。
うしおが泣きついて、なんとか放映は3クールまで延長してもらったという。
1960年代の少年漫画誌では戦記ブームが巻き起こっていて、「大空のちかい」、「紫電改のタカ」、「ゼロ戦レッド」、「あかつき戦闘隊」など太平洋戦争を描いた漫画作品がいくつか存在したが、結局テレビアニメ化されたのは本作のみであった。
1977年夏に東京12チャンネルで放送されたアニメ番組懐古企画「マンガ祭り60分!」では本編1話分が放送されている。
1985年頃、ジャパンホームビデオから第1話「奇襲」を収録したVHSソフトが発売された。
同社からは同時期に「ハリスの旋風」のビデオソフトも発売されていた。
2014年現在DVD化されていない。
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