テレビアニメって楽しいよね

1963年から始まったアニメを紹介いたします。 概要・あらすじ・主題歌・登場人物・声優 wikipediaからなのでネタバレの危険がありあます!

ハッスルパンチ


森康二が原案を担当したテレビアニメ。 パンチ、タッチ、ブン(それぞれ熊、鼠、イタチ)が、悪役であるガリガリ博士との間で繰り広げられるドタバタコメディとなっている。


尚、主人公3人の名前はアンチャッタブルを基にしている。


1965年11月1日 - 1966年4月25日までNETテレビ(現・テレビ朝日)系で放送された。


全26話。


大丸デパートの単独提供で、『宇宙パトロールホッパ→パトロールホッパ・宇宙っ子ジュン』に続く『大丸ピーコック劇場』の第2作。


放送時間は、1965年11月 - 12月間は月曜19時30分 - 20時、1966年1月 - 4月間は月曜19時 - 19時30分。


また、終了後の1966年7月11日 - 9月26日には、海外ドラマ『ダクタリ』(枠は19時30分 - 20時30分)開始までのつなぎ番組として、月曜19時30分 - 20時に再放送した。


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ジャングル大帝(第1作)


手塚治虫の漫画およびそれを原作としている一連のアニメ作品。


アフリカのジャングルを舞台に、白ライオンのレオを中心とした一家三代とムーンライトストーンをめぐって争奪戦を演じる人間達の群像を描く大河ドラマである。


大阪在住の医学生時代は単行本の描き下ろしを中心として来た手塚治虫が、中央で本格的なデビューを飾った作品であり、学童社の月刊漫画誌「漫画少年」に1950年(昭和25年)11月号から1966年(昭和41年)4月号にかけ全43回を連載。


本来は『密林大帝』として単行本で描き下ろす予定だったのが、上京して偶然訪れた学童社において加藤謙一編集長の奨めで連載することになった経緯を持つ。


手塚の名を高め、1950年に「漫画少年」誌上では完結していた『ジャングル大帝』だったが、単行本化のほうは長らく完結せずのままであった。


連載中の1950年と1966年に出された学童社の単行本(2巻まで)はもちろん、1967年の光文社の手塚治虫漫画全集も4巻までと刊行が途中で中断し、(雑誌連載時の読者以外は)話の結末までを読むことができない状態が続いた。


テレビアニメの放送とともに1965年から1968年にかけて刊行された小学館のサンデーコミックスで、連載以来13年目にしてようやく単行本として完結をみた(第5巻目には始めて完結できたことを述べた著者の言葉が収録されている)。


フジテレビ系列で1965年(昭和40年)1月6日 - 1965年(昭和40年)12月29日まで全52話を放送。


日本国産初のカラーテレビアニメシリーズとされることが通例だが、半年前、1965年4月から、カラーによるテレビアニメ『ドルフィン王子』が放送されている。


しかし、全3話に過ぎなかったため、あまり話題にならず、忘れ去られて行った。


よって本格的なカラーテレビアニメのシリーズは本作という評価が一般的である。

スポンサーは三洋電機が「サンヨーカラーテレビ劇場」と銘打って一社提供を行い、自社製品であるカラーテレビ購買需要を喚起する番組として活用した。


漫画連載は10年以上前であり、テレビアニメ黎明期であるため俗悪番組のそしりを避けるべく、『鉄腕アトム』と同じく、手塚漫画の中では「よい子」の代表格であるレオに白羽の矢が立った。


レオの理想主義は教育者の支持を得て、日本PTA全国協議会、教育者懇談会の推薦番組に、番組向上委員会の青少年向け推奨テレビ番組に選定された。


1966年第4回テレビ記者会賞特別賞、1966年厚生省中央児童文化財部会年間優秀テレビ映画第1位、1966年厚生大臣児童福祉文化賞を受賞している。


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オバケのQ太郎(第1作)


藤子不二雄(藤子不二雄A、藤子・F・不二雄)とスタジオ・ゼロによる日本のギャグマンガ作品、及びこれを原作としたテレビ・劇場アニメ作品。


極めて普通の家庭に住み着いた、1匹の間の抜けたオバケが引き起こす騒動を面白おかしく描いた藤子流生活ギャグマンガの原点にして、藤子漫画の代表作の一つ。


『オバQ』と省略されて呼ばれることも多い。


コミック版の作画にはスタジオ・ゼロのメンバーである石ノ森章太郎らが手伝っている他、3度にわたってアニメ化したりと当時オバQブームと呼ばれる社会現象を巻き起こし、それまでシリアス志向の強い作品が多かった藤子漫画は、これを機に『ギャグ漫画の藤子不二雄』として広く認知されるようになっていく。


1965年になって、連載は小学館の他の雑誌にも広がり、さらにアニメ化もされ、「オバQブーム」と呼ばれる社会的現象にまでなった。 『鉄腕アトム』以来、それまで主流だったSFヒーローものが飽きられて視聴率が低下した中で、生活ギャグアニメ『オバケのQ太郎』は登場。


TBS系「不二家の時間」枠で放送された。 1965年8月29日 - 1967年3月26日、TBS系(毎週日曜日19時30分 - 20時・不二家の時間枠) 初回から視聴率30%以上の人気を得て、アニメ主題歌の『オバケのQ太郎』はミリオンセラーを記録し、1966年第8回日本レコード大賞童謡賞を受賞。


また声優の曽我町子が歌う『オバQ音頭』はレコード200万枚、スポンサーの不二家が行ったプレミアムキャンペーンでソノシート400万枚の大ヒットとなり、レコードはジャケットと価格に若干の変更がなされつつ、1980年代まで生産され続けるというロングラン商品となった。


そしてアニメソングにおける音頭曲の先駆けとなり、現在でも子供向け音頭曲の定番のひとつとして親しまれている。


本作で培った小学館のキャラクタービジネスのノウハウは、後年の『ドラえもん』や『ポケットモンスター』でも生かされている。


1966年末に『週刊少年サンデー』の連載は終了し、1967年3月にはテレビアニメも最終回を迎えた。


円谷プロ制作の『ウルトラQ』『ウルトラマン』と共に爆発的な人気番組となり(TBSの日曜夜7時台は、他局から「恐怖のQQタイム」と呼ばれていた)、放送終了の時点で依然30%を超える視聴率を誇っていたものの、スポンサーの不二家から「オバQ商品の売れ行きはピークに達した。


これ以上の売上は見込めないので、新しいキャラクター(の番組)にしてくれ」という強い要望が出たためである。


後番組は、原作者・制作会社ともに同じ『パーマン』となった。 アニメ第1作では不二家の一社提供のため、不二家からオバQのお菓子が発売、当初はアニメ開始前に風船ガム「オバQフーセンガム」が発売されたが、アニメ開始と同時に板チョコ「オバQチョコレート」や、「オバQキャンディー」を追加発売、やがてキャラメルを始め、ピーナッツチョコ(板チョコ、チョコボール)や糖衣チョコも発売、いずれのお菓子にも、様々なおまけが付いていた。


また懸賞も盛んに行われ、1965年から1966年にかけて、オバQお菓子の包み紙を贈ると、オープンリールテープレコーダーやオバQラジコン人形が当たる懸賞が行われていた。


更に1966年にはオープン懸賞として、「オバQといっしょにケニヤに行こう!」「Qちゃんとオトギの国デンマークへ行こう」が行われた(インド航空協賛)。


これは葉書にオバQ(「デンマーク」ではP子でも良い)の似顔絵を描いて応募すると、抽選でケニア旅行やデンマーク旅行が贈られるもので(「ケニヤ」の時は8ミリカメラが副賞)、海外旅行がまだ「高値の花」と言われたこの時期では、一際注目を浴びた。


なお原作者の藤子不二雄は双方の審査員を担当し、旅行に同行した。


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