ルパン三世(第2作)
漫画家モンキー・パンチ原作のテレビアニメ『ルパン三世』の1977年10月3日から1980年10月6日に放送された2番目のシリーズである。
『ルパン三世』のシリーズ中で、最も有名なシリーズである。
現在まで引き継がれる「ルパンのモンキー面」や「赤いジャケット」のイメージ、テーマ曲「ルパン三世のテーマ」もこのシリーズで生まれたものである。
前作『ルパン三世 (TV第1シリーズ)』は、本放送時は低視聴率から打ち切りになったが、再放送にて高視聴率をあげていた。
これを受けて本作品は、『TV第1シリーズ』後半の方向性を継承して、家族全員が楽しめるファミリーアニメとして放送された。
とは言え、長期に渡る放送期間の中で、ハードボイルドなエピソードから、脚本の浦沢義雄と作画の青木悠三のコンビによるスラップスティック調のコメディーまで、多彩なエピソードを幅広く揃えるのもこのシリーズの特徴である。
ヒロインの峰不二子が肉感たっぷりのグラマラスなビキニの水着姿を披露している回が比較的多いのもこのシリーズであった。
日本テレビ系放送ながらプロ野球中継や大晦日特番がない月曜日という恵まれた時間帯だったこともあり、3年間に155話が製作され、ルパン三世のTVアニメ全3シリーズ中、最も長期間放送された。
物語後半からであるが、日本のTVアニメで初めてステレオ放送された。
また本作放送中の1978年と1979年には、劇場映画作品が2作製作されている(『ルパン三世 ルパンVS複製人間』、『ルパン三世 カリオストロの城』)。
ルパン達は世界中で活躍し、彼らを追う銭形も警視庁からICPOに出向する。
五ェ門の表記が五右ェ門に変更。 『TV第1シリーズ』で言及されていた「ルパン帝国」の存在設定が無くなる。
基本的にレギュラー5人は揃っており、ルパン、次元、銭形は毎回登場していたが、五右ェ門と不二子は稀にストーリー上の絡みがなく未登場の回も何話かあった。
また不二子はその回のゲストキャラクターが変装する回があった。
ルパンの愛車が前作のメルセデス・ベンツSSKからアルファロメオ・グランスポルト・クアトロルオーテに。
この他にもMiniや前作終盤および映画『ルパン三世 カリオストロの城』にも登場したフィアット・500など、多彩な車を乗り分ける。
ルパンのジャケットの色が違う。
『TV第1シリーズ』を「青ジャケ」「緑ジャケ」と呼ぶのに対し、こちらは「赤ジャケ」と呼ばれる。
大塚康生によるとジャケットの色が変わった理由はスポンサーであるバンダイの商品が緑のままだと旧作のスポンサーである浅田飴の商品と区別がつかなくなる不安があったからだとされている。
声優変更で峰不二子が増山江威子、石川五ェ門が井上真樹夫へと変更され、以後2010年までルパンシリーズで声優担当し続けており、山田康雄がルパンを担当する期間より長くなった。
音楽は山下毅雄から大野雄二へと変更。
よりジャズ色の強いファンク、ディスコ、フュージョン路線の楽曲が並ぶ。
本シリーズ以降、ルパンの音楽担当は大野で定着する。
制作局が読売テレビから日本テレビとなっている。
本作の商品化収入は放送開始1年で『家なき子』を越え、終了時には日本テレビ音楽過去最大のものとなった。
このため本作は中高生向けの商品化で初めて成功したテレビアニメという評価を得ている。
世界各国でも放送され、特にフランス、イタリアでの評価が高い。
ただし、アメリカ合衆国ではナチスに関連が深い第3話は未放送である。
再放送回数は多数あり、現在までに日本テレビ系のみならず様々な局で放送される。
日本のテレビアニメーションで最も再放送回数の多い作品である。
オープニングの最初のヴァージョンは、1990年発売のCDボックス第2弾で「ルパン三世'78」と曲名が表記され、以降、ヴォーカル版との区別を図る目的で、「ルパン三世のテーマ'78」「ルパン三世'78」と表記されるようになるが、シングル盤発売当時の曲名は「ルパン三世のテーマ」である。
第99話「荒野に散ったコンバットマグナム」で、テレビ用アニメーションとしては初のステレオ放送が開始された。
家庭用テレビの多くがまだ音声多重放送に対応していなかった時期の物で、実験的導入であったともされる。
ブラジャーなどの下着が出るシーンや女性キャラの露出度が多かったせいか、1978年には日本PTA連合会から『ワーストテレビ番組』(後年には『子供に見せたくない番組』へ改題)のワースト10に入れられてしまった。
アニメがワースト番組となった元祖である。
本シリーズでは、アニメでは初めてオープニングクレジットでメインキャストの声優が表示されるという、テレビドラマに即した方式が採用された。
TV第2シリーズで二階堂有希子に代わり峰不二子役になった増山江威子は当時、日本テレビに来た視聴者達のキャスト変更に対する批判の投書を数多く見せられ、「こんな悲しいことはなかった」と後に語っている。
しかし、それが発奮材料になって自らの持ち味を活かした新たな不二子を作り上げたという。
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