宇宙戦艦ヤマト
1974年に讀賣テレビ放送・日本テレビ放送網で放送されたテレビアニメ及び、1977年に劇場公開されたアニメーション映画作品。
戦争としての戦闘の描写、その中で繰り広げられる人間ドラマと主人公の成長やSF的ガジェットなどの詳細な設定は、放映当時(1970年代)のアニメーション作品としては斬新な試みが取り入れられた連続作品である。
当初は同時間帯に放送されていた『アルプスの少女ハイジ』『フランダースの犬』(フジテレビ)、『猿の軍団』(TBS)などの影響もあって視聴率が低迷。
予定の回数を待たずに打ち切られた。
だが、再放送などで改めて注目され、再編集した劇場映画が公開される頃までには社会現象とも言える大ブームとなっていた。
子供のものと思われていたアニメ作品に中・高校生から青年層までの幅広い視聴者が存在していたことを広く示すことになった。
その後の『銀河鉄道999』『機動戦士ガンダム』『超時空要塞マクロス』『新世紀エヴァンゲリオン』に至るアニメブームの先駆けとなった。
映画・レコード・小説・漫画・アニメ雑誌・ラジオドラマ・キャラクター商品など、アニメビジネスにおいて多くの足跡を残した。
後にビデオ・CD・LD・DVD・テレビゲームなどもリリースされている。
本作品の著作のクレジットはオフィスアカデミーであり、小説や漫画などの形で先行した、いわゆる原作(漫画、小説)は存在しない。
オープニングの「宇宙戦艦ヤマト」はヤマトの航海の目的とそれをやり遂げる信念を歌い上げた内容となっている。
エンディングテーマ「真赤なスカーフ」は、プロデューサーの西崎義展がファンクラブにリクエストするよう働きかけ、ニッポン放送のリクエスト番組で1位になった。
映像ソフトに収録されているオープニング映像は、大きく分けて以下の5種類が存在する。
さらに映像と曲の組み合わせの違い、テロップの表示タイミングの違い、細かいリテイク等を含めるとバリエーションは多岐にわたる。
本放送時の正確な使用状況を記録した資料は記録が残っていないが、記録が残されている1978年の再放送の時点では、オープニング映像の種類は細かい違いも含めて17種類にのぼった。
続々と再放送が行われるにつれ、『宇宙戦艦ヤマト』が再評価されるようになり、特に関東地域では20%の視聴率を記録した。
この再放送や映画化により社会現象とも言える人気を得て、ヤマトブームのみならず、アニメブームの他、アニメ史上で数々の影響をもたらした。
1970年代から1980年代の声優ブームは、本作のヒットによってアニメ声優が注目された影響とも言われる。
漫画市場においても、『宇宙戦艦ヤマト』が、漫画とテレビアニメの関係がどちらが主体とは言い難い複雑で密接なものとなり、メディアミックスによる市場拡大がなされる転機となった作品との評価がある。
後のクリエイターに与えた影響も大きく、庵野秀明や出渕裕らはヤマトがなければ今の自分はなかったとの旨を語っている。
再放送で起こった本作のブームを引き継ぐ形で『銀河鉄道999』『機動戦士ガンダム』が人気を得たことで、ヤマトブームに終わらず、アニメブームの火付け役になったとの評価が定着している。
1977年に劇場公開された、テレビ放映版の再編集作品。
テレビ放送終了後、第22話の再撮影が行われた。
同話は、過密スケジュールの影響でNGシーンが入ったままテレビ放送されていたが、第21話 - 第22話(七色星団の戦い)を1つにまとめて40分の中編映画としてフィルム・レンタル会社に売り込むことを想定し、修正されることになったのである。
ここから劇場映画化というアイデアが生まれた。
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